考えるいろいろな事

ご無沙汰してます。

二ヶ月弱書いてなかったんだなあ。

なんだかんだ4月までは忙しくて気が抜けない日々でした。

やっと気が抜けたのはGWくらいから?かなあ。ライヴも珍しく今月は少なかったのです。二本+DJイベントのみ。

GW明けから下旬までは仕事とゲームで現実逃避していたような…。


順を追って書くと、13の西川口公演、か。最前列で、色々な覚悟を持って遊んだ日でした。後悔が無い様に暴れた。サディと違って泣けるターンは無いけれど、元気を沢山貰えた気がする。また、いつか、触れたいと思える日までさようならをしようと思います。とはいっても来月のコンサート、行くんですけどね。


その後はPlasticTreeの高崎公演。天気が崩れてしまい土砂降りに見舞われ寒い思いもしましたが、本当に言って良かった。いわゆるBセトリ、というのかな。バルーン始まりのセトリでした。息が止まるほど嬉しくて、吃驚するほど泣いてしまって。この曲の持つ綺麗で悲しい色はなんていうか、薄いピンクとオレンジと藍色の混じった空を思い出す。どこから見た空なんだろうと考えていたら、多分神奈川県の某ブレーメンの住む街にあるマンションで見た、朝焼け。もう十年前になるのか、と思い出して気付いてしまって記憶に飲まれてしまった。でも楽しかったなあ。

その二日後、中野サンプラザ公演。上手側の席。今回のツアーは本数削ってしまった分、しっかり集中して見れたような気がする。そして、長野・さいたま・高崎・中野、とバランス良く観れたのかな。最前列、安定し始めたセトリ、Bセトリ、ホール公演、と。仙台が地方ファイナルという事だったけれど行かなかったのでこのホール公演が私にとってのファイナルだったのだけれど、良いツアーだったなあ、と。毎回思うのが、安心できるバンドだなあ、って。


そして日が空いてbulbさん。二ヶ月ってこんなに長いの、と正直プラの後は病んでしまうレベルでした。枯渇しすぎて病んでたなあ。行こうと思えば他のバンドで埋めること出来たのだけれど、そういう気持ちにはなれなかった。次はbulbだって思ったら欲してるものがどうしてもbulbの音で、そんな気持ちで他のバンドに行くなんて失礼だし、自分自身満足できなくて落ち込むよなあ、って。ここ最近、音楽への姿勢がまた変わりつつある。そんな飢えたガリガリの獣状態でライヴに臨んだら、本当に一瞬過ぎて…満足してないとかそういう意味ではなく、もっと聴きたいって寂しくなってしまった。足りないよ、って。来月が待ち遠しい。映像収録が控えてるって凄く嬉しいなあ。年内に手元に届くっていうのがとても嬉しい。


そしてDJ浅井さんによる、爆発寸前NIGHT ver. P&Dに行ってまいりました。7月7日8日に行われる横浜アリーナの予習イベント。どちらのバンドも何をやるのか一切読めないから、浅井さんの希望や理想も兼ねての選曲でした。しかし振り付けが本当に難しい…難しいというか、覚えるの沢山あってね…改めて練習が必要だなと思いました。近々カラオケにDVD持って練習しに行く予定ですw


上にも書いた通り、最近は音楽への姿勢がまた変わりつつあって。何がどう変わって行くのか自分でも曖昧なのだけど…なんというか、きっと私は音楽に向ける姿勢ってちょっと複雑なのかなあ、と。

好き、だけでは苦しかったり辛くなることもあって。それはなんらかの柵に囚われてる自分が悪いのかもしれないけれど、今の私が追い掛けてる音楽や求めてる姿勢って、きっと第三者から理解されない節も少なからずあるのかなあ、とか。

誰かに咎められたり、不正解なんて存在しないのが趣味なのは、理解してるつもりなんだけども。

多分、自分が思ってるより、理解してるよりも、ずっとずっと、Sadieが活休した事や森賢さんが亡くなった事が辛かった、らしい。

これは一つ一つ、自分で紐解いていくように言葉にしなきゃここまでだとは気付かなかった。


私にとって、今までSadieがいつ帰ってきてもただいまが言える場所だった。

でも、彼らが活休して、旅路を歩む決断をした。それを否定するつもりは、全くない。ただただ、私は彼ら5人の音が好きだったんだなあ、と。

無理矢理好きでいるのはしんどかった。


プラは、私にとってインプットの場所だった。なんというか、私のあまり育ってない感性を磨いてくれるような。暖かな場所。
それが、Sadieが欠けた事で、プラがただいまを言える場所に変わってしまった。変わったというか、シフトした、というのが正しいのかなあ。
曲の安定感とかはともかく、いつ戻ってきてもプラはプラで、変わらず満たしてくれる。安心感を覚えてしまう。だからもしかしたらここ一、二年は本数を落としているのかもしれない(仕事による不可抗力もあったけれど)。

で、次点で上がってきたのがやっぱりbulbともかくA.Knightsだと思う。
このバンドの共通点はメンバーだけではなくて、次も同じ演奏が聴けないだろうなという、見逃し厳禁なところだと思う。
勿論この二つに限らずバンドは生物だから何処だってそうなのだけれど、次元が違う。
そんなところが魅力的で、其処に魅了されてる以上、このバンドに執着にも似た追い掛け方をしてしまっている自覚。

音楽って、永遠だけど、勿論ミュージシャンが生身の人間である以上、100%永遠とは言えないと思ってる。
悲しきかな、そのいつかの別れが自分からなのか相手からなのかは分からなくても、何時来るかはわからないよ、と。
事故だって病気だって、して欲しくないけど自死だって、有り得てしまうのが人間。
私は今好きな音楽を奏でてくれる人たちとお別れするとき、本当に今のスタンスで後悔しないんだろうか、と。
多く本数を重ねればそれだけ後悔は少ないのかもしれない。
でも100%それを叶えるのはぶっちゃけ無理なのが現実。
だったら、観る公演は全力で挑まなきゃ、と。ここまでは割と当たり前な意識。

じゃあ何処が違うかっていうと、多分私はバンドごと好いてしまう傾向が強すぎるから、好きをたくさん増やして穴埋めするというのが難しいんだなあ、と。絶対的な好きの対象一人に絞れば、それはそれできっと楽だったんだろうなあ、と思う節も強くあって。もちろんそういうファンが楽をしてると言いたいわけじゃないんだけど。

もう少し器用に音楽を愛せたらよかったのにね、と我ながら思ってしまう。
音楽って、趣味だよ。もっと気軽に好きを詰め込んでもいいんじゃないのかい、自分。
でも、それが出来ないんだよなあ。

こんな事思うようになったきっかけは幾つかあるのだけれど、言及は控える。

もうすぐあの日から一年が経とうとしてる。
私は生憎チケット戦争に負けたので、新宿レニーへは行けないけれど。
少しでも気持ちが届けば良いなと、黒い服で過ごそうかな。







Cell×celL

細胞×個室 背伸びして、小窓から覗いた景色はそれはそれは綺麗だった 細胞はそれを目に焼き付けるのに、必死だった ただ、ひたすらに見つめた 忘れぬように そんな細胞の、記録

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